「葬送のフリーレン」を読んでいて、不意打ちで涙腺を持っていかれたエピソードってありませんか?
個人的にその筆頭が、コミックス4巻(アニメ16話)に出てくる「フォル爺」の話です。
ただの寄り道回かと思いきや、老い、記憶、そして愛する人との約束という、この作品の根幹に関わるテーマがぎゅっと詰まっていて……。読んだ後、なんとも言えない切なさと温かさに包まれたのを覚えています。
ネット上を見ていると、「あのおじいちゃんは本当にボケちゃってるの?」「魔王のことを知らないのはなぜ?」といった疑問を持っている方も多いようですね。
そこで今回は、作中の描写やセリフを隅々まで読み返し、私なりにフォル爺の正体や「忘却」の真実について徹底的に分析してみました。Wikiには載っていないような少し踏み込んだ考察も含めてまとめているので、ぜひ最後までお付き合いください。
※本記事には「葬送のフリーレン」のネタバレや、物語の核心に触れる解説が含まれます。アニメ派・コミックス派の方はご注意ください。
この記事のポイント
- フォル爺は400年以上生きるドワーフの老戦士で、村の守り神的存在
- シュタルクへの攻撃は演技だが、「記憶の欠落」は本物である可能性が高い
- 「魔王討伐」を知らない発言は、孤独による情報遮断か老いによる忘却か
- フリーレンが真実を告げなかったのは、彼の「生きる目的」を守るため
- 原作とアニメでの演出の違いが、このエピソードの深みを増している
「葬送のフリーレン」のフォル爺とは何者?種族や声優・正体を深掘り調査
まずは、彼が一体何者なのか、作中で語られた情報を整理してみましょう。
一見するとただのボケたおじいちゃんに見えますが、その実力や経歴は凄まじいものがあります。私が作中の描写から拾い集めたデータを簡単なプロフィール表にしてみました。
| 名前 | フォル爺(フォルじい) |
|---|---|
| 種族 | ドワーフ |
| 推定年齢 | 400歳以上(ドワーフの平均寿命は約300年) |
| 職業 | 戦士(村の守り神) |
| 活動場所 | 北側諸国 クラー地方 |
| 声優(アニメ) | 星野充昭 |
400年以上を生きるドワーフの老戦士
作中で驚かされるのが、その年齢です。ドワーフの寿命は一般的に300年ほどと言われていますが、彼はそれを優に超えて400年近くも生きています。
人間で言えば100歳を軽く超えているような状態でしょうか。それでも現役で村を守り続けているというのは、まさに「英雄」と呼ぶにふさわしい存在です。フリーレンにとっても、数少ない「長寿友達」として特別な感情を抱いている相手なんですよね。
アニメ版の声優は星野充昭さんが担当
アニメでこの渋い老戦士を演じたのは、ベテラン声優の星野充昭さんです。とぼけた演技から、ふと見せる歴戦の戦士としての鋭い声色への切り替えが絶妙でした。
特に「妻の夢を見た」と語るラストシーンの優しい声は、視聴者の涙を誘いましたね。
フォル爺はボケてる?それとも演技?「魔王」発言の真意を徹底考察
このエピソードで最も議論になるのが、「彼は本当にボケてしまっているのか?」という点です。SNSや考察サイトでも意見が割れている部分ですが、私なりに検証してみました。
シュタルクへの攻撃は明らかに擬態
まず、初登場シーンでシュタルクの足を払って転ばせた場面。あれは間違いなく「演技」です。
「戦闘での死因の多くは油断だ」と説教をしていることからも分かる通り、相手を油断させるためにあえてボケた老人のふりをするのは、彼の戦術の一つ。フリーレンも「相変わらず卑怯な戦法だね」と言っているので、昔からの常套手段なのでしょう。
つまり、戦士としての勘や技術に関しては、全く衰えていない(ボケていない)と言えます。
「魔王を倒しに行くのか」という衝撃の一言
問題なのは、フリーレンとの会話中に放たれたこのセリフです。
「そうか。ついに魔王を倒しに行くのか。平和な時代が訪れるといいな」
魔王は80年前にヒンメルたちによって討伐されています。それを「これから倒しに行く」と認識している。
これには読んでいてゾッとしました。戦士としての擬態ではなく、記憶そのものが混濁している可能性が高いからです。
認知症なのか孤独による情報の断絶なのか
なぜ魔王討伐の事実を忘れてしまったのか。考えられる理由は2つあります。
- 老いによる記憶障害(認知症に近い状態)
寿命を大幅に超えて生きているため、脳の機能として限界がきている説。80年前の記憶と現在の認識がごちゃ混ぜになっている可能性があります。 - 長すぎる孤独による情報の風化
400年間、誰とも深く関わらず村を守り続けてきたため、世間の情報が更新されず、過去の記憶の中で生きている説。
個人的には、この両方が合わさっているのではないかと推測しています。村人は彼を「守り神」として敬いつつも、普段は会話もままならないと言っていました。その孤独な時間は、私たちが想像するよりも遥かに長くて重いものだったはずです。
妻は人間?フォル爺が村を守り続ける切なすぎる理由
なぜそこまでして、彼は村を守り続けるのでしょうか。その理由は、あまりにも人間らしく、そして切ないものでした。
亡き妻との約束と「滑稽な話」
彼が村を守っているのは、かつて愛した人間の妻との約束だからです。妻が愛した故郷を守り抜くこと。それが彼の生きる意味そのものになっていました。
80年前、ヒンメルたちに会った時、彼は自分のことを「滑稽な話だろう」と自嘲しました。死者との約束なんて、意味がないかもしれないと。でもヒンメルは「きっとその女性は喜んでいる」と彼を肯定したんです。
この時のやり取りがあったからこそ、彼はその後も迷うことなく村を守り続けられたのかもしれません。
顔も声も思い出せないという残酷な現実
しかし、今回の再会で明かされた事実は残酷でした。
「儂はもう思い出せない。顔も声も眼差しも。それでも儂は大切な何かのためにこの村を守っている」
あんなに大切だったはずの妻の顔さえ、長い時の中で忘れてしまったというのです。
「思い出せないけれど、大切な何かがあることだけは覚えている」。この状態は、認知症の方の心理描写としても非常にリアルで、胸が締め付けられます。記憶は消えても、心に刻まれた「愛」や「約束」という感情だけが残っている。それが彼を突き動かす唯一の原動力なんですね。
フリーレンとフォル爺の「記憶」をめぐる対比と救い
このエピソードの救いは、フリーレンの対応にあります。
「冗談が上手いね」に隠された本音
妻の記憶がないと聞いたフリーレンは、一瞬の間を置いて「冗談が上手いね」と返しました。
これは単なる相槌ではありません。エルフであるフリーレンにとって、記憶は鮮明に残り続けるもの。だからこそ、大切な人のことを忘れてしまうという感覚が信じられず、また「自分もいつかヒンメルのことを忘れてしまうのではないか」という恐怖を感じたのではないでしょうか。
あの「冗談が上手いね」には、そうであってほしくないという彼女の願いと動揺が含まれていたように感じます。
魔王討伐の事実を伝えなかった優しさ
そして、「魔王を倒しに行くのか」と言われた時、フリーレンは訂正しませんでした。「魔王はもう倒したよ」とは言わなかったのです。
その代わりに言ったのがこの言葉。
「フォル爺の記憶も、私が未来に連れて行ってあげるからね」
もしここで事実を伝えてしまったら、どうなっていたでしょう。「平和な時代」を妻に見せたかった彼の目的はもう達成されており、村を守る理由を見失ってしまうかもしれません。
彼の記憶違いを否定せず、彼の見ている世界(魔王討伐という希望)をそのまま肯定してあげること。それがフリーレンなりの最大の優しさだったのだと思います。
フォル爺が登場するのは何巻の何話?アニメとの違い
最後に、この名エピソードを振り返りたい方のために、具体的な掲載箇所を紹介しておきます。
原作漫画では4巻の第33話に収録
コミックスでは4巻の第33話に収録されています。タイトルはずばり「フォル爺」。
漫画版は、淡々としたコマ割りの中に静かな感情の揺れ動きが表現されていて、読めば読むほど味が出るスルメのような回です。
アニメ16話で見せた演出の妙
アニメ版(第16話「長寿友達」)では、演出がさらに強化されていました。
- 間の取り方:会話の沈黙や風の音が、老いの孤独を見事に表現していた。
- 瞳の描写:目を閉じている(過去に生きている)彼と、目を開けている(未来を見ている)フリーレンたちの対比。
- 声の演技:先ほども触れましたが、星野充昭さんの演技が素晴らしく、認知症特有の「ふっと意識がどこかへ行く感じ」がリアルでした。
アニメを見てから原作に戻ると、また違った発見があるはずです。
まとめ
フォル爺のエピソードは、単なるサブキャラの話ではなく、「葬送のフリーレン」という作品が描こうとしている「記憶」と「継承」のテーマそのものでした。
長く生きるということは、多くのものを失い、忘れていくということ。それでも、誰かがその記憶を未来へ連れて行ってくれるなら、その生には意味がある。
ヒンメルがフリーレンに託し、今度はフリーレンがフォル爺に約束した「記憶を連れて行く」という役割。
もし手元にコミックスや配信環境がある方は、ぜひもう一度、この第33話(アニメ16話)を見返してみてください。きっと初回よりも深く、心に染み入るはずです。

